42年間のサラリーマン生活を語る―その1

2月8日(月) 晴れときどき曇り

1週間に1回ですが、出社の日は結構ウキウキしますね。天気のよいときだけですけど、梅の花が咲いている中をスタスタと歩いて行くのは非常にいい気分です。そんな通勤もあと数か月でできないことになるわけで、まあ自分でそれを選択したのだからどうしようもないのですが。

サラリーマン生活42年を以てリタイヤすることになりました。思えば、42年前、1979年春に上京し、某会社の川崎にある独身寮に入寮したのでした。初任給約12万円は当時としてはいい方でした。寮も朝夕付きで月3500円(だったか)程度なので、その気になれば悠々貯金もできました。

でも、6畳一間の2人部屋というのは辛かったですね。私の同居者は30過ぎのむさ苦しいオッサンで、6畳のうち4畳をオッサンの荷物が占拠していました。通路を1畳確保しなければならず、私の生活の場はたったの1畳でした。

それを1年我慢して、2年目からは同期入社のやつと相部屋になり、2畳半を確保できました。その相方が東北大のワンゲル出身だったので、一緒に燧岳とか浅草岳など渋い登山行に連れて行ってもらいました。はっきり言って私の方が体力ありましたね。

3年目からは年功序列でやっと1人部屋に入れました。大枚168000円を出して、元祖パーソナルコンピュータPC-8001を買ったのがこの頃です。確か5000円を追加してメモリーを倍増してもらい、それでようやく1632KB。

1632キロバイトですよ。今ならワードの1ページの文書で満杯になってしまいます。モニターや外部メモリーも別売でした。今のノートPCなら256GBのしかもSSDが当たり前ですからね。あまりに違い過ぎて何倍の容量比なのか暗算できませんもん。

それでもコンピュータですから、自分でプログラムを組んで簡単なゲームとかシミュレーションをやって、それなりに楽しかったです。

4年目になって、ようやく寮を出てアパート暮らしを始めたのでした。自由が丘にほど近い奥沢という駅近くの48000円/月のアパートでしたね。このときに本格的な輪行用自転車を買って活動範囲が飛躍的に広くなりました。登山趣味から自転車趣味に移ったのがこの頃で、車の免許なんか持つ気なし。

また引っ越して横浜で暮らし始め、この自転車で横浜から札幌まで走ったのが1984年、29歳の夏でした(仙台-苫小牧間はフェリー)。我ながらよくやったとも言えるし、ちょっとアホっぽいのではないかとも思います。まあ、この頃から長距離系だったのは確かでしょう。

延々と話が続いてしまうので、今日はここまで。気が向いたら自転車からランニングへの華麗なる転身について語りたいと思います。

******

今週は木曜が祝日ですね。覚えておかないと、間違ってテレワークしてしまいそうで怖いです。

ラン資金     +61145円
月間走行距離    90km
年間走行距離    401km

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